悠さんち

メモ的な。

【来たるべき著作権の未来はユートピアか?】京都女子大学法学部公開講座記録の紹介

二次創作をやってると、著作権というものを意識せざるを得ないと思います。

二次創作と著作権を考える際に非常に参考になる講義録がありまして、折にふれて紹介しているんですが、PDFしか公開されていないからか、内容が長いからか、あまり反応がない。ので、記事に起こしておこうかなと。

私が読んで印象的だった箇所を一部引用して紹介していますが、恣意的な引用であることが否定できませんので、ぜひPDFの全文を読んでいただければと思います。

 講座の概要

京都女子大学 2016年10月~12月 公開講座
法学部【来たるべき著作権の未来はユートピアか?】

講題  エンブレムに向けられたネットユーザーの厳しい目—オリジナル?パクリ?
講師  慶應義塾大学大学院法務研究科教授 奥邨 弘司
講題  「二次創作」文化を巡るあれこれ—二次創作と著作権の曖昧な関係
講師  森・濱田松本法律事務所弁護士 池村 聡
講題  AIは著作者になれるのか—テクノロジーの可能性と限界(?)
講師  文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課課長補佐 壹貫田 剛史

 エンブレムに向けられたネットユーザーの厳しい目—オリジナル?パクリ?

Kyoto Women's University Academic Information Repository: エンブレムに向けられたネットユーザーの「厳しい」目 : オリジナル、それともパクリ (来たるべき著作権の未来はユートピアか?: 京都女子大学法学部公開講座 : 2016 年度後期)
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ひとつめの講座は慶応大学法科大学院の奥邨弘司先生によるもの。盗作騒動で取り下げとなった東京五輪のエンブレムや、松本零士の漫画と槇原敬之の歌の歌詞に関わる訴訟など実際の事例を取り上げながら、著作権法はなにを保護しており、どのような観点で権利侵害かどうかを判断するか、といったことを解説しています。
著作権法は表現を保護し、アイディアは保護しないこと、偶然の類似は侵害と見なさないこと、実際の裁判ではどの程度の類似が侵害と判断されるのか、などが具体的に解説されています。

最後に一言申し上げると、著作権侵害でなければ、クリエイターの倫理として、他人の作品を模倣して良いと申し上げているつもりはありません。それは、クリエイターの世界における議論です。今日はあくまでも、著作権法の世界からの分析です。

 締めくくりのこの言葉も意識しておくべきものと思います。

「二次創作」文化を巡るアレコレ : 二次創作と著作権の曖昧な関係

Kyoto Women's University Academic Information Repository: 「二次創作」文化を巡るアレコレ : 二次創作と著作権の曖昧な関係 (来たるべき著作権の未来はユートピアか?: 京都女子大学法学部公開講座 : 2016 年度後期)

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ふたつ目の講座は、知財法関連やベンチャー・IT、個人情報その他を専門とする弁護士であり、文化庁著作権課に出向して著作権法改正に関わる仕事もされていた池村聡先生によるもの。

講座では、いわゆる「二次創作」として、ニコニコ動画の「歌ってみた」「踊ってみた」やMAD動画、ネットにアップされるパロディ画像、同人誌などを取り上げ、著作権法の観点からは二次創作はどのようにとらえられるのか、といった内容が話されています。

 まず指摘しなければならないことは、「二次創作」あるいは「二次創作作品」といった用語は著作権法上の用語ではないということです。つまり、著作権法という法律の条文には、「二次創作」や「二次創作作品」という言葉は一つも出てきません。

(中略)

 例えば既存の漫画におけるキャラクター等の設定だけを利用して小説を創作することも「二次創作」と呼ばれ、完成した小説は「二次創作作品」にカテゴライズされますが、設定自体には通常は著作権法の保護が及びませんので、著作権法上の「翻案」には該当しない行為であって、小説は「二次的著作物」には当たりません。

 このように、既存作品のアイディアやコンセプトを利用しているに過ぎない場合のように、著作権法上は既存作品の著作権者から許諾を得る必要がない態様も含めた概念として「二次創作」という言葉が使われているという点を押さえて下さい。

 こうして考えていくと、結局のところ、「二次創作」とは、「既存の著作物をなんらかの形で利用し、別の作品をつくりあげること」といった程度の、極めて広く曖昧な概念であるという結論になるものと考えられます。

二次創作は著作権法における「二次的著作物」とは異なるものであり、世に「二次創作」と呼ばれるものがすべて著作権を侵害しているとは言いがたいという解説。特に「既存の作品の設定を使った小説は『翻案』にはあたらない」というのはあまり知られていないように思います。(小説に限定されているのは、漫画は「絵」という「表現」が原作に依拠しているから)

 

  著作権は「私権」つまりは私人の権利ですので、権利を持っている本人が別に構わないと考えれば、著作権侵害とは評価されません。そういう意味で、現状、本来著作権者からの許諾が必要な「二次創作」は、当の著作権者自身が「まあいいか」ということで放置、黙認していることにより著作権侵害とは評価されないというケースが殆どであるといってよいと思います。

 黙認や放置のパターンにも色々あり、「元作品への愛情があるパロディ」だから黙認、放置するというケースや、パロディ作品がきっかけで元作品が注目を集める可能性があるという理由で黙認、放置するケースもあります。勿論、よくわからないけど面倒だから放置する、というケースも少なくないでしょう。そもそも自分の作品がパロディ化されていることに著作権者が気付いていないケースも沢山あると思います。

 いずれにせよ、問題視して削除請求や損害賠償請求するか、あるいはそのまま放置するかは著作権者自身が決めることで、現状は黙認放置されているケースがほとんどで、少なくとも日本では、それで大きなトラブルもなくうまく回っているという状況にあります。つまり、権利者が、もはや放置できない、許さんと判断する場合もないわけではないですが、そうした例は実際上多くはなく、少なくとも権利者が「二次創作」を問題視し、紛争が多発しているといった実態には全くないといってよいと思います。このように、二次創作文化は、黙認や放置といった微妙で絶妙なバランスの上で成り立っていて、それがクールジャパンの一翼を担うまでになっているのです。

権利者が問題視しない限りは著作権侵害の評価はなされない、という話。これも重要ですよね。
権利者でない第三者が他人の行為を「それは著作権侵害ですよ」というのは厳密に言うと間違っている、ということになるでしょう。

講座の後半では、音楽の著作権JASRAC、パロディやフェア・ユースについての現状なども説明されています。また、TPP協定を結ぶにあたって議論された著作権の非親告化についての話も。

AIは著作者になれるのか : テクノロジーの可能性と限界(?)

Kyoto Women's University Academic Information Repository: AIは著作者になれるのか : テクノロジーの可能性と限界(?) (来たるべき著作権の未来はユートピアか?: 京都女子大学法学部公開講座 : 2016 年度後期)
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3つめは内閣官房教育再生実行会議担当室参事官補佐の壹貫田剛史先生による講座。「AIは著作者になれるのか」という切り口で、「創作」とは何か、「著作物」とは何か、という話がされています。法律において著作物とは作者の思想・感情を反映された表現であり、思想や感情を持たないAIによる創作物は著作物としては保護されない、しかしAIの創作物にはすでに人を感動させる力が充分にある。この先、AIの創作物、AIを利用した創作をどのように考えていけば良いか――といった内容で、SFに興味がある人には特に面白い話だと思います。

パネルディスカッション

Kyoto Women's University Academic Information Repository: パネルディスカッション (来たるべき著作権の未来はユートピアか?: 京都女子大学法学部公開講座 : 2016 年度後期)
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最後のパネルディスカッションでは、聴講生も参加し、著作権侵害を訴えた実際の民事裁判を例に挙げて、それぞれの事例が著作権侵害と判断できるかどうかを考えていきます。一般的には「パクリ」扱いされるような事例でも、著作権の考え方からは侵害と言えない事例も多くあるのがわかります。
中には、実際の裁判では侵害と判断されたものの、その判断は厳しいのではないかと池村弁護士が見解を述べている事例もあり、著作権侵害の有無の判断が非常に難しいものであるのがわかります。

最後のまとめから印象的な箇所を抜粋。

 個人的には、法律と世間のギャップと言うか、必ずしも「著作権法」が正しく理解されていなくて、その結果、本当は著作権侵害ではないものまで「パクリ」だと、すなわちあたかも著作権侵害だというかたちで炎上をしたりとか、そういったよろしくない傾向にあるのではないかと思っています。(池村先生)

 

皆さん、判断される際は、いろいろな議論があり得るということはご理解下さい。自分はアイデアだと思うということだけで突っ走ると、それは危ないですし、一方で、自分は表現だと思うということだけで、人を強く責めるということはやめた方がいいと思います。
 もう一つだけ申し上げると、表現というのは積み重ねの中で出来上がっていくものですから、私たちも、過去の人たちの表現を勉強しながらというところもあるわけです。どこまで先人を尊び、また新しいことを許すかというバランスの議論でもあるんだろうなと思いながら、今日は、お話をさせていただいた次第です。(奥邨先生)

そして最後に非常に面白いやりとりがあるので、こちらもご紹介。

<壹貫田>もう一つ、池村先生へのご質問です。漫画の件ですけれども、漫画の BL 化が、BL 化というのは。

<池村>ボーイズラブ化。

<壹貫田> なるほど。そのボーイズラブ化が、権利者の許可を必要とするのは、その漫画のアイデア、設定を利用するだけではなく、設定を変えているからですかというご質問ですが、いかがでしょうか。

<池村>設定等を変えているという部分は、今日はほとんどお話しができませんでしたけれども、著作者人格権、具体的には同一性保持権という権利に抵触する可能性もあるとは思います。ただ、BL化の一番の問題は表現、つまりはキャラクターの絵をそのまま似せて描いて、同性愛化しているから著作権者の許諾が必要なのではないかということで、例えばキャラクターの名前や人物設定は一緒だけども、絵は全く違うということになれば、許諾は不要という整理になると思います。

ここでいう「絵は全く違う」というのが、どのくらい違えばいいのかは専門家ではないのでよくわかりませんが、(ポパイネクタイ事件などが参考になりそうです)たいへん興味深いですね。